新映画原理主義・第九回「ワイルドで行こうぜ!~コーネル・ワイルド

 

第一章 ハンガリーからアメリカへ

 

 コーネル・ワイルドは1912年10月13日、ハンガリーのプリュエヴィドザ(現在はスロヴァキアの一部)に、ユダヤ人家庭のコルネル・ラヨス・ワイズとして生まれた。1920年、8歳の時に両親と姉と共にニューヨークへ移住した。家族はみな英語名に改名し、コーネルもコーネリアス・ルイス・ワイルドと名を改めた。ニューヨークのタウンゼントハリス高校を卒業し、ニューヨーク市立大学シティカレッジの医学部に入学し奨学金を受けるが、演劇熱に侵されてシオドア・アーウィン演劇研究所に通い大学は一年で中退してしまう。一方、米国オリンピックチームの主将も務めており、36年のベルリン・オリンピックへの出場も決まっていた。だが、これも演劇の大役が決まったために直前にチームを辞めてしまう。(*オリンピックに米国代表のフェンシング選手として出場した、という通説が長い間流布していた。)フェンシングの遠征などでヨーロッパを転戦したおかげもあり、英語は勿論、母国のハンガリー語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語の六か国語が堪能というインテリである。 

 ちょっとしたコネがあり、36年のパラマウント映画「リズムパーティ」(フレッド・ウォーラー監督)という短篇で、パーティ客として映画デビューを果たすものの、次には繋げるのは困難であった。37年にはマージョリーハインツェン(後の女優パトリシア・ナイト)と結婚する。仕事を得るために年齢を3歳サバを読み、名前も分かり易くコーネル・ワイルドと改めた。1915年、ニューヨーク生まれ、という公式プロフィールは、この頃に作られたものであろう。

 

第二章 ハリウッドで俳優稼業 

 

 40年のブロードウェイ公演、ローレンス・オリヴィエとヴィビアン・リー主演の「ロミオとジュリエット」で、フェンシングの腕を買われてフェンシング指導と共にティボルト役も獲得する。これを観劇したワーナー・ブラザーズ関係者にスカウトされて契約する。ミリアム・ホプキンス主演『赤い髪の女』(40年・カーティス・バーンハート監督)にノンクレジット出演後、ボギーの出世作である『ハイ・シェラ』(41年・ラオール・ウォルシュ監督)で本格的デビューする。だがWBの待遇に不満を抱き、同年20世紀フォックスへ移籍して『パーフェクト・スノッブ』(レイ・マッカレイ監督)で早くも初主演を果たす。モンテ・ウーリイ、アイダ・ルピノ共演の『人生の始まる夜』(42年・アーヴィング・ピチュエル監督)では、脚の悪いルピノと恋仲となる音楽家青年を好演。これが45年の『楽聖ショパン』(チャールズ・ヴィダー監督)に繋がった。母国の偉人でもある主役のフレデリック・ショパン役を熱演したワイルドは、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされるという快挙を成し遂げた。同じハンガリー出身のヴィダー監督の好演出もあり、ワイルドにとって生涯の代表作となった。

 その後は『哀愁の湖』(45年・ジョン・M・スタール監督)、『永遠のアムバア』(47年・オットー・プレミンジャー監督)と言ったロマンチックな役処と、『千一夜物語・魔法のランプ』(45年・アルフレッド・E・グリーン監督)、『戦うロビン・フッド』(46年・ジョージ・シャーマン、ヘンリー・レヴィン監督)では、剣戟スターとしての資質を見せた。またフィルムノワールとしてはリチャード・ウィドマークアイダ・ルピノ共演の『深夜の歌声』(48年・ジーン・ネグレスコ監督)、サミュエル・フラー脚本、ダグラス・サーク監督の異色コンビによる『ショックプルーフ』(49年)が印象的。『ショック~』は、当時結婚していたパトリシア・ナイトとワイルドの珍しい共演作であった。

 

第三章 スター俳優としての低迷

 

 50年代に入るとアカデミー作品賞を受賞した『地上最大のショウ』(52年・セシル・B・デミル監督)のような大ヒット作を除けばスターとしての商品価値は落ちて行った。デミルの最後の超大作『十戒』(56年)ではジョシュア役を振られたが、主役でないのはともかく役自体が小さくギャラも安かったので断った。結局、その役はジョン・デレクが演じた。51年には長年連れ添ったパトリシア・ナイトと別れ、同年には女優のジーン・ウォーレスと再婚した。

 ワイルドは主演にこだわりをみせるが、やはりフェンシングの腕頼りで『剣豪ダルタニアン』(52年・ルイス・アレン監督)、『渓谷の騎士』(54年・アーサー・ルービン監督)、『勇者カイヤム』(57年・ウィリアム・ディターレ監督)といったB級剣戟スターに落ち着いた。『征服者』(52年・ルー・ランダース監督)は西部劇でありながらワイルドの希望なのか、クライマックスはフェンシングで対決するという異色作であった。初のイタリア映画『コンスタンチン大帝』(61年・リオネロ・デ・フェリス監督)では、タイトルロールのコンスタンチン大帝を演じて達者な剣捌きを見せた。フィルムノワールでは暗黒街撲滅もので、フイリップ・ヨーダン脚本、ジョセフ・H・ルイス監督の傑作『暴力団ビッグ・コンボ)』(55年)におけるタフガイ刑事役の熱演が光った。ドン・シーゲル監督のB級アクション『グランド・キャニオンの対決』(59年)では、脇のミッキー・ショーネシージャック・イーラムの小芝居を主役らしく受け切る懐の深さもみせた。TVM『ショック!生きていた怪獣ガ―ゴイルズ』(72年・B・W・ノートン監督)では、伝説の鳥人獣ガ―ゴイルを追う考古学者を還暦にして熱演した。本作はTVMながら無名時代のスタン・ウィンストンが特殊造形などに参加しているマニアにとってはカルトな一作である。

 

第四章 監督作の先見性

 

 スターとしての人気が頭打ちとなって行った50年には、監督業にも意欲を示した。自らの製作プロダクション“セオドラ・プロダクション”を妻のジーン・ウォーレスと共に設立した。その第一作は夫婦が主演した『大雪原の決闘』(55年)であった。雪山の交通が絶たれた山小屋に避難した子連れ家族の元へ、銀行強盗の三人組が押し入ってくる、というサスペンスもの。後年、『アラバマ物語』(62年・ロバート・マリガン監督)と『テンダー・マーシー』(82・ブルース・ベレスフォード監督)でアカデミー脚色賞と脚本賞を受賞した、劇作家のホートン・フートの映画脚本第一作なので、構成がしっかりしており主演を兼ねたワイルドの演出ぶりも手堅く十分及第点を与えられる。第二作もセオドラ・プロ製作の『地球で一番早い男』(57年)で、製作・脚本・監督・主演の四役を兼ねた。アメリカにおけるスピードレース最高峰と言われる“悪魔のヘアピン”と異名をとる難関コースを109周するレース映画。カラー、ヴィスタヴィジョンの画面に炸裂する迫力のレースシーンは、後年のシネラマ、レース映画『グラン・プリ』(66年・ジョン・フランケンハイマー監督)を彷彿させる。『マラカイボ』(58年)は、南米ヴェネズエラのマラカイボの海底油田の火災消火に命を賭ける男(ワイルド)を描いたスペクタクル・アクション。これも後年のジョン・ウェイン主演の油田消火もの『ヘルファイター』(68年・アンドリュー・V・マクラグレン監督)を想起させる。『剣豪ランスロット』(63年)は、ワイルドがアーサー王の円卓の騎士ランスロットを演じ、グイニヴァ妃にジーン・ウォーレスが扮した。得意の剣戟ものなので、安定した出来栄えを示した。

 ワイルドの監督作品の中では、一般的に一番高い評価を得ているのが『裸のジャングル』(66年)である。アフリカを舞台に原住民によって衣服・武器・食料などを全て奪われた男(ワイルド)が、持てる勇気と知恵と生命力の限りをつくして生き抜くサバイバル・アクションの傑作である。54歳のワイルドが薄絹のみで全編出ずっぱりの大熱演を見せてくれる。本作の内容はメル・ギブソン監督の『アポカリプト』(06年)が、リメイクと言っていいほどに酷似している。

 ジェファーソン・パスカル名義で脚本も担当した『ビーチレット戦記』(67年)はセオドラ・プロ製作による低予算戦争ものだが、色んな意味で先駆けとなる内容となっている。アメリカ軍の反撃が激化した南太平洋の島にマクドナルド大尉(ワイルド)が指揮する海兵隊が上陸して、杉山大佐(小山源喜)率いる日本軍と激戦を展開する。まず、スティーヴン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』(98年)に影響を与えたという浜辺での上陸シーンが素晴らしい。低予算のため上陸用舟艇が1隻しかなくエキストラも十分に雇えない状況ながら、軍の記録フィルムを巧みにインサートして数千人規模の大群に見せている。本作がアカデミー編集賞にノミネートされたのも、頷ける見事な編集プロの仕事である。また兵士の喉に銃弾で穴が開く血なまぐさい描写などは、当時のヘイズコード(自主倫理規制)をよくすり抜けたと思わせるが、独立プロ作品なのでうまくすり抜けたのであろうか。ヘイズコードは68年に正式に廃止されて、レイテイング・システムに移行するだが、『俺たちに明日はない』(67年・アーサー・ペン監督)のクライマックスの壮絶な銃弾乱舞シーンは、ヘイズコード廃止一年前ながら既に制度そのものが瓦解していたのかもしれない。本作が凄いのは、兵士たちの内面にまで入り込んでいることである。故郷の両親や恋人などの回想や幻想がフラッシュバックで時折インサートされる。これはテレンス・マリック監督の『シン・レッド・ライン』(98年)に先駆けた構成と言えよう。因みにベストセラーとなったジェームズ・ジョーンズの小説は『大突撃』(64年・アンドリュー・マートン監督)で先に映画化されているが、こちらは至ってストレートな戦争映画となっている。本作が更に凄いのは、内面描写が米兵だけでなく日本兵までが描かれていることである。日米両兵士の内面が描かれるのは、『トラ!トラ!トラ!』(70年・リチャード・フライシャー舛田利雄深作欣二監督)、クリント・イーストウッド監督の『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(以上06年)に先駆けている。これらの先見性を含め、本作が映画史の中でさして評価されていないのには、怒りさえ覚える。

 『最後の脱出』(70年)は、ジョン・クリストファーのSF小説の映画化で、環境汚染で穀物がダメになり、世界中に蔓延しつつある飢饉から逃れるためにロンドンを脱出する家族を描く。近未来の荒廃した地球と人々の描写がやけに生々しく迫って来る意欲作。ワイルドは出演はしていないが、ラジオの声で参加している。『シャーク・トレジャー』はスティーヴン・スピルバーグ監督の大ヒット作『ジョーズ』と同じ75年に製作されているので、単純に模倣とは言い切れない。カリブ海沖に沈んでいるらしい中世スペイン船の財宝をトレジャー・ハンター(ワイルド、ヤフェット・コットーなど)が引き上げようするが、その海域にはホオジロザメがうようよしていた。『ジョーズ』同様、人喰いザメとの攻防戦になるのだが、前半でサメを退治して財宝を手に入れてしまう。後半は脱獄囚たちとトレジャー・ハンターたちの対決という、ありきたりの展開となってしまうので尻つぼみとなる残念な作品。本作は『ジョーズ』のようにヒットしなかったようで、ワイルドの監督作品も本作が最後となってしまった。

 スター俳優が片手間ではなく本格的に監督業をするのは、クリント・イーストウッドロバート・レッドフォードケヴィン・コスナーメル・ギブソンらの先達と言えるのではないだろうか。作品数は決して多くないものの、その先駆性と独創性は特質すべきものがあり、中でも『裸のジャングル』と『ビーチレッド戦記』は、映画史的にも重要な作品と言えよう。

 99年、77歳の誕生日の3日後に白血病で死去した。『裸のジャングル』の続篇を準備していたというから、その創作意欲は最後まで衰えなかったのであろう。

 最後に彼の自伝からの引用を。「私はずっと前に、成功を運に頼ることは出来ないことに気付きました。私は自分の能力と経験を増やして、一生懸命、一生懸命に働きました。私の目標は、人生において何か価値のあることを達成し、自尊心と誠実さを持ってそれを実行することでした。」

 

(フィルモグラフィ)

リズムパーティ(フレッド・ウォーラー監督*短篇/デビュー作)(36年)、エクスクルーシブ(アレクサンダー・ホール監督*ノンクレジット)(37年)、赤い髪の女(カーティス・バーンハート監督)(40年)、ハイ・シェラ(ラオール・ウォルシュ監督)、ノックアウト(ウィリアム・クレメンス監督)、朝食にキッス(ルイス・セイラ―監督)、パーフェクト・スノッブ(レイ・マッカレイ監督)(以上41年)、マニラ・コーリング(ハーバート・I・リーズ監督)、人生の始まる夜(アーヴィング・ピチュエル監督)(以上42年)、氷上の花(ジョン・ブラーム監督)(43年)、楽聖ショパンチャールズ・ヴィダー監督)、千一夜物語・魔法のランプ(アルフレッド・E・グリーン監督)、哀愁の湖ジョン・M・スタール監督)(以上45年)、戦うロビン・フッド(ジョージ・シャーマン、ヘンリー・レヴィン監督)、100周年の夏(オットー・プレミンジャー監督)(以上46年)、ホームストレッチ(H・ブルース・ハンバーストーン監督)、スターへの階段(ジャック・リーガー監督)、永遠のアムバア(オットー・プレミンジャー監督)、あなたじゃなけりゃならない(ドン・ハートマン監督)(以上47年)、ジェリコの壁(ジョン・M・スタール監督)、深夜の歌声(ジーン・ネグレスコ監督)(以上48年)、ショックプルーフダグラス・サーク監督)、スイス・ツアー(レオポルト・リンデバーグ監督)(以上49年)、西部の二国旗(ロバート・ワイズ監督)(50年)、地上最大のショウ(セシル・B・デミル監督)、剣豪ダルタニアン(ルイス・アレン監督)、征服者(ルー・ランダース監督)、語らざる男(ルイス・セイラ―監督)(以上52年)、ゴールデン・コンドルの秘宝(デルマー・ディヴィス監督)、ブロードウェイのメインストリート(ティ・ガーネット監督*本人役ゲスト)、サーディア(アルバート・リューイン監督)(以上53年)、渓谷の騎士(アーサー・ルービン監督)、ニューヨークの女達(ジーン・ネグレスコ監督)、怒りの刃(アラン・ドワン監督)、暴力団ビッグ・コンボ)(ジョセフ・H・ルイス監督)(以上54年)、熱い血(ニコラス・レイ監督)、豹の爪(ジョージ・マーシャル監督)(以上56年)、勇者カイヤム(ウィリアム・ディターレ監督)(57年)、グランド・キャニオンの対決(ドン・シーゲル監督)(59年)、コンスタンチン大帝(リオネロ・デ・フェリス監督)(61年)、ショック!生きていた怪獣ガーゴイルズ(B・W・L・ノートン監督*TVM)(72年)、バトル・オブ・ザ・バイキング(チャールズ・B・ピアース監督)(78年)、四銃士ケン・アナキン監督)(79年)、肉体と弾丸(カーロス・トバリナ監督*遺作)(85年)

 

(監督作品)

大雪原の死闘(兼・製作・出演*デビュー作)(55年)、地球で一番早い男(兼・製作・脚本・出演)(57年)、マラカイボ(兼・製作・出演)(58年)、剣豪ランスロット(兼・製作・脚本・出演)(63年)、裸のジャングル(兼・製作・出演)(66年)、ビーチレッド戦記(兼・製作・脚本・出演)(67年)、最後の脱出(兼・製作・脚本・声の出演)(70年)、シャーク・トレジャー(兼・製作・脚本・出演*遺作)(75年)