新映画原理主義・第11回「セミドキュメント戦争映画の名手~チャールズ・フレンド」

 

第一章 英国有数の名編集者

 

 チャールズ・フレンドは1909年11月21日、英国サセックス州バルボロ―生まれ。カンタベリーのキングズ・スクールからオックスフォードのトリニティ・カレッジで学ぶ。アイシスマガジンでは、映画評論を書いた。

 1931年ブリティッシュ・インターナショナル・ピクチャーズに入社。編集部に配属され『Arms and the Man』(32年・セシル・ルイス監督)で編集者デビューする。ゴーモン・ブリテイッツシュ・ピクチャーズに移り、同社プロデューサーのマイケル・バルコンの下で働き多くのことを学ぶ。早くも編集の腕を買われて、中堅監督としてめきめきと台頭して来たアルフレッド・ヒッチコック監督の『ウィーンからのワルツ』(34年)『暗殺者の家』『サボタージュ』(以上36年)にも起用され編集スキルに磨きをかけた。この間、アレクサンダー・コルダのロンドンフィルムにも貸し出され大作『The Conquest of the Air』(36年)の編集を担当しただけでなくナレーターまで兼任する多才ぶりだった。ゴーモン・ブリティッシュに戻りリチャード・アーレン主演『大いなる障壁』(36年)とヒッチコックの『若くて無邪気』(37年)を編集した。

 バルコンがデンハム・フィルム・スタジオのMGMブリティッシュに移ることになり、フレンドも帯同する。『オックスフォードのヤンキー』(38年・ジャック・コンウェイ監督)やロバート・ドーナット主演『城砦』(38年・キング・ヴィダー監督)、ロバート・ドーナットがアカデミー主演男優賞を受賞した『チップス先生さようなら』(39年・サム・ウッドシドニー・フランクリン監督)を編集。再びアレクサンダー・コルダに招聘され『ライオンには翼がある』(39年)と『バーバラ少佐』(41年・ガブリエル・パスカル監督)を担当し、英国有数の編集者としての地位を確立していた。だが本人としては、やはり全てを統括出来る監督を予てから希望していた。

 

第二章 セミドキュメント戦争映画の名手

 

 マイケル・バルコンは38年にイーリング・スタジオの所長に就任する。慢性的な赤字体質のスタジオの再建のために、首脳陣は剛腕で鳴らしたバルコンを招聘した。バルコンは予てからドキュメンタリー映画の可能性を模索しており、ドキュメンタリーとドラマの中庸、即ち“セミドキュメンタリー”の手法をスタジオの売りにしようと考えた。そのためハリー・ワットなどのドキュメンタリー映画の監督や、新人監督をどんどん起用した。以前から編集者から監督への転向を訴えていたチャールズ・フレンドにも42年に監督デビューのチャンスが与えられた。

 『大規模封鎖』はバトル・オブ・ブリテンの勝利後で制空権を失った独軍を、今度は経済的に追い詰めようという作戦を描いたもの。ハンプデン爆撃機によるドイツ本土の工場の爆撃と世界各国からドイツに入港する船をドーバー海峡でせき止める。製造と補給路を断たれたドイツ軍は困窮を強いられる。ハンプトン爆撃機にはマイケル・レニーとジョン・ミルズが搭乗し、中立的でユーモラスなロシア人にマイケル・レッドグレ―ヴ、狂信的なドイツ軍将校にロバート・モーリイというキャステイングも充実。フレンドはセミドキュメントタッチで各パートをテキパキと処理し上々の成果を挙げた。

 長編第三作『船団最後の日』(44年)は1940年に英国を出航したサン・デメトリオ号と護衛艦による船団は、アメリカのテキサスで石油を満載して帰還。大西洋でドイツ軍戦艦ドミラルの砲撃を受け船は炎上。チーフエンジニアのウォルター・フイッツジェラルド以下、ゴードン・ジャクソンら乗組員はボートで脱出し漂流するが、再び母船に戻り火災を消火。必死の修理活動でエンジンがかかり、アイルランドの港へたどり着く。これは実際に起きた事件を元にしているので、セミドキュメンタリータッチがより一層生きた力作であった。ただ撮影の終盤にフレンドが病気となり、ロバート・ヘイマーが引き継いで完成させた。

 『怒りの海』(53年)は第二次大戦下の英国海軍の船団護衛艦コンパス・ローズの艦長エリクソン少佐(ジャック・ホーキンズ)による乗組員教育と戦いの日々を描いた大作。ニコラス・モンサラットの戦記小説の映画化ゆえ繰り返される日常性にドキュメンタリータッチが生きている。艦長役のジャック・ホーキンスがさすがの渋い存在感。脇役でスタンリー・ベイカーが乗組員役で出演している。本作は英国でこの年一番のヒット作となった。

 『潜水艦ベターソン』(63年)はイギリスとイタリアの合作戦争映画。1941年、伊潜水艦ベターソンのレオナルド艦長(ガブリエル・フェルゼッティ)はジブラルタル海峡の突破を試みるも、英海軍のブレイン司令官(ジェームズ・メイソン)によって阻止される。両雄は中立国であるスペインに上陸し、暫しの交流と安らぎを得る。再び戦火が切られベターソンは英軍駆逐艦を撃破して、ジブラルタル海峡を突破する。事実に基づいているとは言え英軍が敵軍に花を持たせるのは珍しいが、独軍ではなく伊軍なので許容範囲なのかもしれない。演出にいつものキレがないのは、伊側に共同監督を立てていることもありモチベーションが今一だったのだろうか。

 

第三章 セミドキュメントの到達点『南極のスコット』

 

 『愛の海峡』(45年)は英仏協調主義をテーマにした国策映画。第二次大戦直前、英仏海峡ぞい英コーンウォール漁村では、対岸の仏ブルターニュから英側の見張りナット(トム・ウォリス)の目をかいくぐって密漁に来る女頭目フロリー(フランソワーズ・ロゼ―)率いる漁夫たちに迷惑していた。だが戦争が始まり独軍に追われた女頭目たちは、ナットの村に逃げ込んでくる。当初は反目していた両者だが共通の敵への対抗心もあり一致協力の体制が生まれる。地方色をうまくドラマに取り入れて人間ドラマを形成するフレンドの手腕は中々のもの。

 2回目の南極極点を目指して死去したロバート・スコット海軍大佐の準備と挑戦を描いた『南極のスコット』(48年)は、探検ものの古典的傑作となった。最初の探検失敗により国からの補助が難しくなり、講演などで資金集めに苦労するが、遂に十分とは言えないまでも国からの補助金が出て晴れて2度目の南極探検へと出発する。北極点を目指していた最大のライバルであるノルウェーアムンゼンが米国探検隊に先を越され、南極へ目標を転換したと聞き、スコットは焦りを隠せない。極点を目指して出発し、最後はスコットを含めた精鋭5人による挑戦となった。ようやく極点に辿り着くが、そこには既にアムンゼンノルウェー国旗が棚引いていた。失意のまま帰還する5人だったが、状況は厳しく二人が死去。残る三人も前進基地へあと少しの地点で最期を遂げる。実話の映画とはいえこのラストは悲痛である。マイケル・バルコンによるセミドキュメンタータッチ(別名バルコン・タッチ)が最大限に生かされており、イーリング・スタジオにとっても世界中でヒットしたマイルストーン的な作品と言えよう。

 

第四章 混迷するフレンド

 

 『南極のスコット』以降のフレンドは、『怒りの海』や『潜水艦ベターソン』など2、3の例外を除いてコメディに転向し、いわゆる“イーリング・コメディ”を手掛けるようになった。『南極のスコット』の大成功が、堅実派たるフレンドの重荷になってしまったのだろうか。55年にイーリング・スタジオがBBCに売却され、兄貴分たるマイケル・バルコンが所長を退任したのもフレンドの積極的な活動に影響を与えた。ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞したジャック・ホーキンス主演の犯罪もの『ロング・アーム』が未見なのが残念である。

 最後の監督作品は67年の児童映画『空飛ぶ自転車』であった。70年にはデヴィッド・リーン監督、ロバート・ミッチャム、サラ・マイルズ主演の70ミリ大作『ライアンの娘』で、第二班監督を勤めたのが最後のご奉公だったのだろうか。

 

(フィルモグラフィ)

大規模封鎖(42年)、大砲奪還作戦、The Savage Grav(短篇)(以上43年)、船団最後の日(44年・ロバート・ヘイマー共同監督)、愛の海峡(45年)、ジョアンナ・ゴデンの愛(47年・ロバート・ヘイマー共同監督)、南極のスコット(48年)、お金のために逃げる(49年)、マグネット(50年)、怒りの海(53年)、Lease of Life(54年)、ロング・アーム(56年)、Barnacle Bill(57年)、Cone of Silence(60年)、Girl on Approval(61年)、潜水艦べターソン(63年・ブルーノ・バイラティ共同監督)、空飛ぶ自転車(67年)、ライアンの娘(70年、デヴィッド・リーン監督*第二班監督)

(編集)

Arms and the Man(32年・セシル・ルイス監督)、ウィーンからのワルツ(アルフレッド・ヒッチコック監督)、My song for you(モーリス・エルヴィ監督)(以上34年)、Oh、Daddy!(グラハム・カッツ、オースティン・メルフォード、レスリー・ヘンソン監督)、Fighting Stock(トム・ウォールズ監督)、トンネル(モーリス・エルヴィ監督)、Car of Dream(グラハム・カッツ、オーステイン・メルフォード監督)(以上35年)、暗殺者の家(アルフレッド・ヒッチコック監督)、Eeast meets West(ハーバート・メーソン監督)、サボタージュアルフレッド・ヒッチコック監督)、The Conquest of the Air(アレクサンダー・エスウェイ、ゾルタン・コルダ、ドナルド・テイラー、ジョン・モンク・サンダース、アレクサンダー・ショウ共同監督*兼ナレーター)、大いなる障壁(ミルトン・ロズマー、ジョフリー・バーカース監督)(以上36年)、若くて無邪気(37年、アルフレッド・ヒッチコック監督)、オックスフォードのヤンキー(ジャック・コンウェイ監督)、城砦(キング・ヴィダー監督)、(以上38年)、チップス先生さようならサム・ウッドシドニー・フランクリン監督)、ライオンには翼がある(エイドリアン・ブルネル、マイケル・パウェル、ブライアン・デズモンド・ハースト共同監督)(以上39年)、バーバラ少佐(41年・ブリエル・パスカル監督)、大規模封鎖(42年・自作)