新映画原理主義  第2回「知られざる巨匠~ロマン・ヴィニョーリ・バレット」

 

第一章 ウルグアイからアルゼンチンへ

 

ロマン・ヴィニョーリ・バレット(1914~1970)

 両親はウルグアイ系アルゼンチン人で、ウルグアイモンテビデオで生を受ける。教育熱心な両親の元、10代の頃からウルグアイの音楽・演劇・ラジオの国立組織であるSODPEに参加する。才能はすぐ開花し20代前半から主席舞台監督となる。エーリッヒ・ライバーやアルトゥーロ・トスカニー二など伝説的な指揮者や、ルイ・ジュ―ヴェなどの演劇界の巨匠と共演した。非常に教養に富んだ彼は、劇作家でもありラテン語・仏語の翻訳者でもあった。マリア・ベセイロと結婚し、ダニエラとラフェエルという二人の息子と、アナ・マリアという娘に恵まれる。文化人としてウルグアイで確固たる地位を築くが、46年にアルゼンチンの新興映画会社に招聘され、昔から興味を持っていた映画に参入することを決意して、家族と共にアルゼンチンのブエノスアイレスに移住する。ウルグアイは南米の大国ブラジルとアルゼンチンと国境を接する小国のため、映画は早くに伝わっていたが、両大国の映画産業には抗しきれずに、自国の映画製作はあまり盛んではなかったようである。そのため、バレットも自国ではなく、戦後製作本数が飛躍的に増えたアルゼンチンの映画界に、自身の可能性を賭けたと思われる。

 47年にアルゼンチンの人気若手女優イエヤ・デュシェル主演の青春もの『リトルスター』で監督デビューを果たす。デビュー作はまずまずの好評で同じ女優主演で、『コリエンデス 夢の通り』(49)を撮る。後にイザベラ・サルリとのコンビでアルゼンチンポルノで世界的ヒットを飛ばした俳優時代のアルマンド・ボー主演のメロドラマ『額の汗で』(49)、コメディ『ほとんど陽気な未亡人』(50)、実在のF1ドライバーを描いた『「悪魔の手がかり ファンジオ」(50)、メロドラマ『月のそばの通り』(51)とコンスタントに監督をこなして手堅い仕事ぶりをみせて腕を磨いて行った。

 

第二章 代表作『野獣死すべし』と『黒い吸血鬼』

 

 そして52年の『野獣死すべし』は、彼の最初の代表作となった。英国人ニコラス・ブレイクが38年に発表したハードボイルド小説の最初の映画化である。ニコラス・ブレイクは詩人でもあるセシル・デイ=ルイスペンネームで、名優ダニエル・デイ=ルイスの父親である。映画化に際してシンプルに脚色し直され、最愛の息子のひき逃げ犯(ギレルモ・バッタリア)を解明しその懐に潜入し、遂には復讐を遂げる父親(ナルシソ・イバ二エス・メンタ)の心情がダイレクトに伝わって来る内容になっている。ラスト、愛情を感じ始めていたひき逃げ犯の義理の息子に心情を残しつつ、ヨットで死出の旅に出る主人公の姿には、こみ上げてくるものがあった。ブレイクの原作はTVでは何度か映像化されているが、二度目の映画化はフランスでクロード・シャブロル監督による『野獣死すべし』(69)。これも切り口は異なるがシャブロルらしい真綿で首を絞めるようなヒリヒリした描写が見ものであった。

 音楽もの『これが私の人生です』(52)、コメディ『猫を連れた少女』(53)を挟んで、彼の最高傑作『黒い吸血鬼』(53)を発表する。ブエノスアイレスで思春期の少女ばかりを狙った連続殺人犯の男(ナタン・ピンソン)の裁判が開廷中。そこからフラッシュバックで3つの異なる視点が交差する。検察官バーナード博士の公式捜査と車椅子の妻の介護。2つ目は殺人鬼である英語教師テオドロ・ウルバーの生涯を通じて女性に見下され続け醜く屈折した性格による犯行。3つ目はマリア・カイテル、芸名リタというナイトクラブの歌手の混乱した私生活。この3つの視点が、終盤には一緒になってクライマックスを迎えるという凝った構成となっている。マリアが半地下になっているナイトクラブの小窓から、犯人テオドロを目撃してしまう構図とカッテイングの冴えや、少女をエレベーター出口で待ち伏せて殺害するシーンの押さえた描写、そしてクライマックスにおける地下水道での犯人を追い詰めるホームレスたちとの光と影、そして下水道とのゾクゾクさせるコラボレーションと見どころが満載している。ホームレスによる犯人の裁判シーンはないが、ローレが口笛で吹いていたエドヴァルト・グリーグ作曲の「山の王の広間」が使われるなど、ほぼ元版『M』(31・フリッツ・ラング)に沿った内容なので、バレットの並々ならぬ力量が嫌がうえにも伝わって来る。犯人を演じるナタン・ビンソンも、ピーター・ローレに負けず劣らずの適役ぶりであった。本作に先立つ51年にジョセフ・ロージー監督による『M』も製作され、53年の赤狩りによる英国亡命前ながら、ロージーの当時の屈折した心情が強く影を落としている異色作となっている。

 

第三章 知られざる巨匠?

 

 その後は、ファミリー『おじいちゃん』(54)、ドラマ『石の地平線』(56)、コメディ『ヴァージンマン』(56)、スリラー『地獄のルポルタージュ』(59)、ミュージカル『花のパーゴラ』(65)とあらゆるジャンルをこなして精力的に活動する。『紙の船』(63)は『汚れなき悪戯』(55・ラディスラオ・ヴァホダ)で知られるパブリート・カルヴォ最後の出演作として話題になった。ただ『野獣死すべし』や『黒い吸血鬼』に匹敵するような代表作が生まれなかったのが惜しまれる。彼の晩年のインタビューによると「演劇こそ私の本当の歓びであった。」と語っているように、生涯を通じて舞台監督として働き続けて成功を収めたのが、正当な評価を得られなかった映画監督よりも誇りだったのかもしれない。晩年はテレビドラマにも関わり、最後の演出はテレビドラマであった。

 娯楽映画畑ということもありレオポルド・トーレ・二ルソンやフェルナンド・E・ソラナスのようなアルゼンチン映画界の巨匠としての評価は受けていないが、少なくとも『野獣死すべし』と『黒い吸血鬼』を、高いレベルの娯楽映画として作り上げた演出力は端倪すべからざるものがある。日本だと石井輝男、米国だとアンソニー・マン、仏国だとアンリ・ヴェルヌイユ、英国だとJ・リー・トンプソン、韓国だと申相玉あたりに匹敵するのではないだろうか。そういう意味でも巨匠というよりも、鬼才と称した方がふさわしく思える。

 

(フィルモグラフィ*全作本邦未公開ゆえ邦題はスペイン語からの直訳)

リトルスター(47*デヴュー作)、コリエンデス 夢の通り、額の汗で(以上49)、ほとんど陽気な未亡人、悪魔のてがかり ファンジオ(以上50)、月のそばの通り(51)、野獣死すべし、これが私の人生です(以上52)、猫をつれた少女、黒い吸血鬼(以上53)、おじいちゃん(54)、少年ヴィオラナンモレウ(55)、ヴァージンマン、石の地平線(以上56)、傀儡(57)、異星人の神々、女性ペニー(以上58)、地獄のルポルタージュ、神々のお金(以上59)、牝馬、一年中クリスマス(以上60)、おやすみ、愛する人よ(61)、紙の船、ファルコン一家(以上63)、花のパーゴラ、殺人命令(以上65)、ヴィラデリシア、駐車場、BGM(66*遺作)